3.11特集が苦手

怒られそうだけども、震災の特集が苦手だ。


昨日一昨日はテレビでもラジオでも、そういう特集があってしれっと避けた。

もともとドキュメンタリー番組が好きではないから、その延長だと思ってたけど、たぶんちょっと違う。


疎外感と無情感



3月10日、中学の卒業式、いろいろ仕切る委員やらなんやらやってた私は朝からせっせかせっせか働き四次会まで行ってくったくただった。中学が好きでもないのにお人好し気取ってなにやってんだろって思いながら深夜2時に寝た。地震にも気付かないくらいの熟睡をした。

起きた頃にはテレビはACのCMだらけになっていて、何が起きたんだかわからなかった。
たぶん今もわかってない。
全部テレビの先で見たものだから実感がない。
だから、震災から~年ってきいても3月10日がしんどかったことしか思い出せない私は世間から切り離されてる気がする。




昔から学校が嫌い。大嫌い。しぬほどきらい。しねなかったけど。
小学校には「みんな仲良し」みたいなスローガンが廊下に貼ってあって、道徳の時間があったのに、そのくせにいじめはあったし、先生もろくな人間ではなかった。
別に人間のどろどろしたところが嫌いなんではなくて、むしろそういう人間らしさは好きなんだけども、まるで「みんな仲良し」と振る舞う学校って組織が嫌い、人間の悪いところや複雑さを取っ払ってなかったことにすることで調和を図ろうとする組織が嫌い、そういう組織に従ってるだけの何も考えてない人も嫌い、そんなに嫌なのにここから出たら生きていけない自分の不甲斐なさも嫌いだった。


震災の特集はそういうのに似てる。
「あの日を忘れない」と、表向き綺麗な言葉を言って、内心はどうせ視聴率かふぁぼかいいね稼ぎだろって思ってしまう。感情がないように見える。
本当に心を痛めて、本当に黙祷を捧げている人が果たして何人いるのか。


亡くなった方に失礼だろって言われそうだけど、じゃあ震災で亡くなった人って特別不幸なの?
死は誰にでも起こることで、それはたいてい不慮だ。たくさんの人が死ぬことは、ひとりが死ぬより悲しいっておかしくないか。

綺麗な言葉だけ並べて、反芻して、ひとつになってる感を出してるのが気味が悪い。卒業式かよ。




みたいなことを思うので毎年3.11は沈黙を決める。

全然関係のない日に、ふと思い出して、今歩けるありがたみをひっそり感じる方がよっぽど健全だと思う。