愛してあげるよ

「自分のこと好き?」って聞かれて、堂々と「好き」って言えるくらいには自分が好き。



好きなものがいっぱいある自分が大好き。

お笑い好き、本も好き、演劇も好き、音楽も好き、アイドルも好き、個人名挙げるとキリがないくらいには好きな人がいる。
そういうのを好きになれる自分のセンスの良さが好き。



これがやりたい!って思ったら行動できる自分が大好き。

生徒会もやったし、小説も書いたし、演劇も書いたし、漫才もコントも書いた。ラジオもやった。舞台音響もできるようになった。バイト先でもまあまあ評価される。
そういう自分が好きだ。

だから自己愛はあると思ってた。



だけどどうやら違うらしい。

私は、自分への褒め言葉を素直に受け取れない。
最近だと「考え方が大人だね、しっかりしてるね」とか「声かわいい」とか。
そう言ってくれる人の顔をじっと見て、隙を探してしまう。目が違う方を向いてたり、頬がひきつってたりすると、お世辞だとわかってほっとする。


褒められるのは好き。だけれどもそれは、自分が行動した結果出来たこととか、完成したものを褒められるのが好きなのであって、私本体を褒められてしまうとどうしたらいいのかわからなくなる。
褒められた人間ではないのに、と思う。


考えてみると、きっと、何かを好きになることも、行動を起こすことも、きっと、自身の劣等感からきている。


そのままの自分は好きになれないから、何か自分より優れたものを好きになって、何かを作って、ようやく自分で自分を認められる。
そういう鎧が必要なのだ。

だから鎧の中にある私本体を褒められると怖くなるし、たいして仲良くない人に褒められるとイライラしてしまう。「なんもしらねーのにわかった口聞くんじゃねえよ」と思ってしまう。こうやって書くとなかなかの面倒な中二病である。


昨日、高校の友達に会ってそういう話をしたら「自己肯定感が低すぎる」と言われた。
彼女いわく「ちっちゃい頃褒められて育ったから、そういう褒め言葉も普通に喜んでしまう」のだそうだ。

振り返ってみると、私は敵を作るのが得意だった。
いや別に作りたくて作った訳じゃないんだけど、まあ、尖っていたのだ、ダサい言い方をすれば。

男の子と遊んでいたら女の子から目の敵にされ、塾に通い始めれば私より先にメンタルやられた父にボコボコにされ、学校と家に居場所を無くした私が駆け込んだのは塾で、塾は当たり前だけど点数が上の奴が勝つ世界であった。加えて軽い作文も必要だったので、文章が上手いとちやほやされた。
塾を選んでいた頃に「作文はもっと伸びます」と言われた私は、その嘘か本当か営業トークかわからない言葉を信じて、小学生のころはひたすら文を書いた。なんでもかんでも書いた。泣きながら書いた。最初は受験のためだったけど、次第に父をころすか自分がしぬか、それくらい追い込まれた私にとって文を書くことは生きる証を残すことであった。
はやみねかおるを見よう見まねで原稿用紙30枚くらいの小説を書ききったとき、学校に持っていった。図書室の室長さんなら読んでくれるかなと思った。ランドセルから原稿用紙の束を取り出したとき、それをたまたま見た女の子が「なにそれ」と言った。その子は受験組ではなく、さっぱりした性格だったので私の敵ではないが特段仲が良いとは言えないような距離感の子だった。
「いやあちょっとね、書いたんだよね」と言いながら見せたら、彼女は全部読んでくれた。あんなくしゃくしゃの、きったない字の、よくわからん文の塊を読んでくれた。

「おもしろい」と言ってくれた。
私の目を見て、しっかりした口振りで、おもしろいと言った。





それが、今も忘れられないくらい嬉しかった。
私が生きてた当時までの12年が報われた気がした。

頑張ったことが報われると気持ちが良い、という初体験である。






話が逸れた。

幼少期の頃は褒められるよりも罵倒を受けて育ってしまったがために、どうやら褒めことばを受け取れる素直さを失ったらしい。なんてこったい。
自己肯定が低いおかげで、大人に罵倒されようとも崖っぷちに立たされようともびくともしないくらいの精神力は身に付いたし、それで切り抜けた場面はそれなりにあるからメリットはあると思う。
何かを成し遂げないと私には価値がないと思うから人生頑張れたのだろうし。




だけど、自己肯定が低いとどこまでも自分のことしか見れないのかもしれない。
好きにはなれても、愛せないのかもしれない。

「なんで私の言葉を信じてくれないの」と言われてハッとした。

結局誰かを好きなことも何かを作ることも自分のためなのだとしたら、それはなんて虚しいのか。




それなりに器用で、欠点までまるごと自分が好きで、「私に好かれて嬉しくないわけがない」と言わんばかりに周りを愛している人が美しくて仕方がない。

彼女は、周りを愛してあげる余裕のある人間なのだ。




そういう人種に産まれてみたかった。

でも、自分で自分を傷付けながらふらふらとさまよう私の、人間臭さは、意外と嫌いではないのだ。


どうしようもねえ。