生きているというエロさが好き

文章書くの好きで、こないだまでどっかしらでちまちま書いてたんだけど、どっかいっちゃったので新しくはじめてみる。
ただのひとりごとで推敲もしてないから、ツイッター過疎っててつまらないときとかに読んでね。



こないだ羊の木を観て久しぶりにこみ上げるものがあった。中盤からだいぶしばらく泣いた。
他に好きな映画は『渇き。』と『台風クラブ』なんだけども、共通するのはひっそりと性的な表現があること。

こないだ質問に答えた時、私の中でのエロはファンタジーって言ったんだけど、あれは細かく言うとセックスがファンタジーなんだよなあ。いくら映画観たって私はトトロには会えないし人を殺したりしない。だからセックスもしない。という認識。
性的欲求を解消するの大変だから、もともと欲求が無いのはラッキーだなって普段は思うんだけど、上に書いたような映画を見たとき、セックスを知らないのはもったいないのかもなあと感じる。

性は生に密接に関わってるからだ。

性の生々しさは生きるということの生々しさに通ずるものがある気がしてならない。

そりゃ生物は本能的に子孫を残そうと~みたいな生物学的な話はもっともらしいんだけど、それ言われちゃうとレズノンセクの私は生物学的に生物でなくなってしまうから今は置いといて。

生きているってエロい。呼吸して、ご飯を咀嚼して、飲み込んで、働いて汗水流して、大して仲良くない人には愛想笑いして、本当に仲いい人にはたまに甘えたりして、財布の小銭気にしたりしながら、明日も生きていることを前提に眠りについて、その間に爪や髪が伸びてゆく。
性的描写は、そういう生活の中にあるエロさをところどころ抽出して強調してる気がする。
そういう性を目の前にすると、自分が生きていることを思い知らされる。そして明日もきっと生きているということが希望にも絶望にも快感にも感じる。そういうどうしようもなさ、カオスが好きだ。

まとめられたつもりでいるけど多分纏まってないな 。
セックス描写よりひっそりとした性的表現が好きなのは、後者の方がそういう生きているエロさに近いからなんだよね。

これ誰かに伝わるのかなあ。

まあいいや。書けてすっきり。
こんな書く暇あるなら勉強しろよって話ですね。たしかに。でも思考も溜まったら吐き出さないと体に悪いからね。

おやすみなさい。9時に起きるぞ。