グレー人間

ずいぶんほったらかしてたなあ




正しさこそが正しいのか。

という命題。



運動会の感想は「楽しかった」、辛かったことは「大変だったけどいい経験になった」、と言わなきゃいけないような圧力。


人間そんな簡単に割りきれることばっかりじゃないじゃない。


邪念があって、好きなことをやりたいようにやりたいしやりたくないことはやりたくないけど、目の前には道徳や倫理や社会があって、おんなじように邪念ドロドロの人間がうじゃうじゃいて、うまいこと折り合いをつけていかなきゃいけない。それは声が出せてある程度言葉を覚える頃、産まれて3年後には始まる戦いである。



幼稚園生の頃に声が出なくなった。

ストレスで出なくなったみたい、と俯いてた私に上から先生の声が降ってきたのは覚えている。

なにがきっかけでは覚えてないけど、もう人との関わりがめんどくさくなって、
苦手な友達と仲良さそうに話さなきゃいけないこと、みんなが鬼ごっこしてたら混ざらないと「輪の中に入れないかわいそうな子」として先生に話しかけられてしまうこと、どんなことがあっても「今日も楽しかったよ」と親に笑いかけなきゃいけないこと、本当はピアノじゃなくて絵が習いたいこと、そういうことを無邪気さでごまかしてたら、声を出すことが億劫になってしまった。


声が出せなくなると、不思議とみんな優しくなるし、抱き締められる回数は増えるし、自分は声を出す時のトーンや口調のあれこれを考えなくていい分ひとの表情がよく見れるようになる。

話せないことはとても楽なのだ。と学んでしまってから、ストレス過多になると声が出なくなる癖がついてしまった。ろう者には眉を顰められそうだけども。

自習室で人とすれ違っても何も言えない日があるのは、イヤホンで爆音で音楽聞いてて気付いてないか、声が出ない日なの。ごめんね。



そんな人間の割には、私は声フェチで、電話するのが好きだ。
特に、正しくない私の受け入れてくれる声が好きだ。まあ元彼のことなんだけど。

彼ができた人なおかげで今も遊びに行ったりする仲なんだけど、あの人は本当にすごい。

表向きへらへらしてるくせに、水面下でぐちゃぐちゃ考えて、考えすぎて思考が2周3周して、はしっこが見えない毛糸みたいになってしまう私は、考えすぎて抜き差しならなくなったら彼に電話をするんだけど、思考をほどくのが本当に上手い。なんで私よりも私の思考回路がわかるのかわからん。

曰く、私は正しくあろうと必死になってるらしい。

自分の邪念やわがままからスタートして、正しさにゴールしようとして失敗してるらしい。



「人間なんだからさ、間違っててもいいよ。その度合いがひどくなければ」

という、いつか言われた言葉は今も大事な私の柱だ。



黒から逃げても白にはなれず、黙っても透明人間にはなれないから、グレーがいいね。


だからこそ他人のグレーも愛せるのだ、きっと。

3.11特集が苦手

怒られそうだけども、震災の特集が苦手だ。


昨日一昨日はテレビでもラジオでも、そういう特集があってしれっと避けた。

もともとドキュメンタリー番組が好きではないから、その延長だと思ってたけど、たぶんちょっと違う。


疎外感と無情感



3月10日、中学の卒業式、いろいろ仕切る委員やらなんやらやってた私は朝からせっせかせっせか働き四次会まで行ってくったくただった。中学が好きでもないのにお人好し気取ってなにやってんだろって思いながら深夜2時に寝た。地震にも気付かないくらいの熟睡をした。

起きた頃にはテレビはACのCMだらけになっていて、何が起きたんだかわからなかった。
たぶん今もわかってない。
全部テレビの先で見たものだから実感がない。
だから、震災から~年ってきいても3月10日がしんどかったことしか思い出せない私は世間から切り離されてる気がする。




昔から学校が嫌い。大嫌い。しぬほどきらい。しねなかったけど。
小学校には「みんな仲良し」みたいなスローガンが廊下に貼ってあって、道徳の時間があったのに、そのくせにいじめはあったし、先生もろくな人間ではなかった。
別に人間のどろどろしたところが嫌いなんではなくて、むしろそういう人間らしさは好きなんだけども、まるで「みんな仲良し」と振る舞う学校って組織が嫌い、人間の悪いところや複雑さを取っ払ってなかったことにすることで調和を図ろうとする組織が嫌い、そういう組織に従ってるだけの何も考えてない人も嫌い、そんなに嫌なのにここから出たら生きていけない自分の不甲斐なさも嫌いだった。


震災の特集はそういうのに似てる。
「あの日を忘れない」と、表向き綺麗な言葉を言って、内心はどうせ視聴率かふぁぼかいいね稼ぎだろって思ってしまう。感情がないように見える。
本当に心を痛めて、本当に黙祷を捧げている人が果たして何人いるのか。


亡くなった方に失礼だろって言われそうだけど、じゃあ震災で亡くなった人って特別不幸なの?
死は誰にでも起こることで、それはたいてい不慮だ。たくさんの人が死ぬことは、ひとりが死ぬより悲しいっておかしくないか。

綺麗な言葉だけ並べて、反芻して、ひとつになってる感を出してるのが気味が悪い。卒業式かよ。




みたいなことを思うので毎年3.11は沈黙を決める。

全然関係のない日に、ふと思い出して、今歩けるありがたみをひっそり感じる方がよっぽど健全だと思う。

愛してあげるよ

「自分のこと好き?」って聞かれて、堂々と「好き」って言えるくらいには自分が好き。



好きなものがいっぱいある自分が大好き。

お笑い好き、本も好き、演劇も好き、音楽も好き、アイドルも好き、個人名挙げるとキリがないくらいには好きな人がいる。
そういうのを好きになれる自分のセンスの良さが好き。



これがやりたい!って思ったら行動できる自分が大好き。

生徒会もやったし、小説も書いたし、演劇も書いたし、漫才もコントも書いた。ラジオもやった。舞台音響もできるようになった。バイト先でもまあまあ評価される。
そういう自分が好きだ。

だから自己愛はあると思ってた。



だけどどうやら違うらしい。

私は、自分への褒め言葉を素直に受け取れない。
最近だと「考え方が大人だね、しっかりしてるね」とか「声かわいい」とか。
そう言ってくれる人の顔をじっと見て、隙を探してしまう。目が違う方を向いてたり、頬がひきつってたりすると、お世辞だとわかってほっとする。


褒められるのは好き。だけれどもそれは、自分が行動した結果出来たこととか、完成したものを褒められるのが好きなのであって、私本体を褒められてしまうとどうしたらいいのかわからなくなる。
褒められた人間ではないのに、と思う。


考えてみると、きっと、何かを好きになることも、行動を起こすことも、きっと、自身の劣等感からきている。


そのままの自分は好きになれないから、何か自分より優れたものを好きになって、何かを作って、ようやく自分で自分を認められる。
そういう鎧が必要なのだ。

だから鎧の中にある私本体を褒められると怖くなるし、たいして仲良くない人に褒められるとイライラしてしまう。「なんもしらねーのにわかった口聞くんじゃねえよ」と思ってしまう。こうやって書くとなかなかの面倒な中二病である。


昨日、高校の友達に会ってそういう話をしたら「自己肯定感が低すぎる」と言われた。
彼女いわく「ちっちゃい頃褒められて育ったから、そういう褒め言葉も普通に喜んでしまう」のだそうだ。

振り返ってみると、私は敵を作るのが得意だった。
いや別に作りたくて作った訳じゃないんだけど、まあ、尖っていたのだ、ダサい言い方をすれば。

男の子と遊んでいたら女の子から目の敵にされ、塾に通い始めれば私より先にメンタルやられた父にボコボコにされ、学校と家に居場所を無くした私が駆け込んだのは塾で、塾は当たり前だけど点数が上の奴が勝つ世界であった。加えて軽い作文も必要だったので、文章が上手いとちやほやされた。
塾を選んでいた頃に「作文はもっと伸びます」と言われた私は、その嘘か本当か営業トークかわからない言葉を信じて、小学生のころはひたすら文を書いた。なんでもかんでも書いた。泣きながら書いた。最初は受験のためだったけど、次第に父をころすか自分がしぬか、それくらい追い込まれた私にとって文を書くことは生きる証を残すことであった。
はやみねかおるを見よう見まねで原稿用紙30枚くらいの小説を書ききったとき、学校に持っていった。図書室の室長さんなら読んでくれるかなと思った。ランドセルから原稿用紙の束を取り出したとき、それをたまたま見た女の子が「なにそれ」と言った。その子は受験組ではなく、さっぱりした性格だったので私の敵ではないが特段仲が良いとは言えないような距離感の子だった。
「いやあちょっとね、書いたんだよね」と言いながら見せたら、彼女は全部読んでくれた。あんなくしゃくしゃの、きったない字の、よくわからん文の塊を読んでくれた。

「おもしろい」と言ってくれた。
私の目を見て、しっかりした口振りで、おもしろいと言った。





それが、今も忘れられないくらい嬉しかった。
私が生きてた当時までの12年が報われた気がした。

頑張ったことが報われると気持ちが良い、という初体験である。






話が逸れた。

幼少期の頃は褒められるよりも罵倒を受けて育ってしまったがために、どうやら褒めことばを受け取れる素直さを失ったらしい。なんてこったい。
自己肯定が低いおかげで、大人に罵倒されようとも崖っぷちに立たされようともびくともしないくらいの精神力は身に付いたし、それで切り抜けた場面はそれなりにあるからメリットはあると思う。
何かを成し遂げないと私には価値がないと思うから人生頑張れたのだろうし。




だけど、自己肯定が低いとどこまでも自分のことしか見れないのかもしれない。
好きにはなれても、愛せないのかもしれない。

「なんで私の言葉を信じてくれないの」と言われてハッとした。

結局誰かを好きなことも何かを作ることも自分のためなのだとしたら、それはなんて虚しいのか。




それなりに器用で、欠点までまるごと自分が好きで、「私に好かれて嬉しくないわけがない」と言わんばかりに周りを愛している人が美しくて仕方がない。

彼女は、周りを愛してあげる余裕のある人間なのだ。




そういう人種に産まれてみたかった。

でも、自分で自分を傷付けながらふらふらとさまよう私の、人間臭さは、意外と嫌いではないのだ。


どうしようもねえ。

のりこえる

RADWIMPSが好きだ

中学1年の秋か冬に、私の好きな文章を書ける人が有心論を教えてくれて、そこからはまった
中学生時代はRADばかり聴いていた、高校受験のリスニングもRADでしのいだくらい、ので、どうやら台本やら小説やら書くとRADが紛れ込むらしい
前々前世が流行った頃、好きな子、好きな子も演劇部だったので私の文体を知っている、にRAD絶対好きじゃんと言われた、一昨年の、風が強くて晴れていたけどなんとなく寒い日

RADWIMPSが好きだ

しばらく好きでいると、歌詞を覚え、歌詞の癖に慣れ、思考回路までその癖に侵食される
ようやく宗教じみた状態から脱したのは、高校の入学式、半分付属のようなものだったから同じ中学の子もたくさんいたのに一緒に行こうと言えず、駅からひとりで歩いて、たまたま目の前にひとりで大荷物で歩いてる子がいて、あのこは外部生だろうと、きっと私と同じでひとりで寂しいに違いないと、なぞの勇気を使って話しかけて、好きな曲とかいろいろ訊いた時、意外と駅から高校が遠くてふたりで迷子になってたどり着くのに時間がかかった
話しかけた子はのちに好きになる子




BUMP OF CHICKENが好きな子がいた

中学行くのに40分バスに乗らなければならず、そのバスに一緒に乗っていた子だ
BUMP OF CHICKENの良さをとくとくと語られ、おすすめのアルバムまで紹介されたが、iPodにいれて何度も何日も聴いたが、いくら聴いても刺さらなかった
刺さらなかったと言っても、その子は諦めなかった、今となってはわかるが、とても好きなものは自分に侵食しすぎて、半ば自分の一部になっているので、それを否定されるというのはニアリーイコール自分を否定されるということなのだ、彼女は私がBUMP OF CHICKENを好きになるように、私が彼女自身を好くようになるべくの努力を諦めなかった
私はBUMP OF CHICKENを好きになれなかったし、その子のことも好きになれなかった、でも憧れていた、好きなものを好きだと堂々と言い続けられる心、好きな男の子を必死に口説き落とせるこころ、ある程度の計算と素直さを持って可愛く殴り込めるところ、羨ましかった、きっと羨ましすぎて悔しくて好きになれなかった、好きになってやるものかと思っていた



私の好きな子と、そのBUMP OF CHICKENが好きな子、面倒だから前者をA、後者をBとおくけど、AとBが知り合ったのは大学受験の予備校だった
無気力のままバイトに行って帰ってだらだらしていた夜、Aに電話をかけた、なんの理由もなく、いやうそ、うん、好きだから、声を聞きたくてかけた
Aに電話をかけるのは当時しょっちゅうだったから、向こうも特になにも考えず、どうでもいいことを話していた、話していたと思っていたんだけど、Aはあのさぁ~~~と前置きしたあと、Bと仲いい?ときいてきた
私は困った、過ごした時間は40分かける200日くらいかける3年ぷらすカラオケ行った数時間、まあまあ長い、長くいれるってことは仲は悪くないってことだけど変な意地のせいで仲いいとは言えない、私はうんとううんの間のような返事、うんと言えない時点で仲良くないのは明らかな返事、をしたあと、中学の頃通学路が一緒だったことを告げた、Aは、Bのことが苦手だと言った
曰く、Bはしょっちゅう遊びに誘ったり引っ付いたりしてくる、好きとも軽々しく言う、家が遠いのに来てほしいとせっつく、きっとBは付き合ってる男子がいない寂しさを私で埋めているのだろうと言ってきた
そうかあ、とか、大変だねえ、それは嫌だよねえ、と言いながら私はスマホを持ってる手が強ばった
私はAが好きだった、過去形ではなくて完了形、好きだってことはその電話の半年前くらいに言った、好きだって言っただけで付き合ってくださいは言えなかった、そしたらそっかあの返事だけで終わり何事も起こらず友達のままだった、私の中でそれは大きなできごとで、うまく咀嚼できないまま、なんとか友達っぽいふりをしていた、その最中のその言葉は、首にナイフを突き立てられた気分だった、私だって私が声聞きたいだけでAにしょっちゅう電話したり私が会いたくて遊びに誘ったりしている、私はBと何が違うのか、私は、私が気づかぬうちに、私が好きになってやるものかと思っていたBと同じことをしているのか、
私は嫌われるのではないだろうか
Aはそんな遠回りに嫌みを言うようなタイプではないので、ただ単にBへの愚痴を誰かに聞いてほしかっただけだと思う、それは真だと思うのに、それからAとの接し方がわからなくなった、当たり障りなく人間関係を築けるAの、愛想が良いとは言えないけど賢くて頭が良くて優しくて声が良くて可愛くてヒトとしてできてるAの、人への嫌悪を知ったのがはじめてて、人間なんて誰かを嫌いになって当たり前なのに、そんな当たり前が怖くなって、いつ私が嫌われるのか怖くなった、私が弱くて柔い時に支えてくれてたAがそうやって頼ってくれることは、恩返しができた気になれて本当に嬉しかったけど、愚痴を聞くたびに少しずつ傷付いた、私がAを好きなのは男の代わりじゃないという証明がしたくて、好きだからそんな些細なことで傷付くのだから好きでいるのを諦めようと思って、電話したその少しあとに男友達と付き合った、付き合ったってAが好きだった、過去形にはならなかった、どうしようもない

傷付くたんびに、私はBUMP OF CHICKEN好きじゃないからという絆創膏を貼った、BUMP OF CHICKENが好きじゃないからBとは違う、きっと違う、私とBが同じヒトに寄りかかったとしても、違う

予備校通ってから1年でAもBも大学を決めて、離ればなれになったからもう愚痴を聞くことはなくなった、だからもう傷付くことはないんだけど、同時に頼られることもなくなって、さみしくてたまに思い出してしまう、思い出したらあの風の強い日にAに言われた、RAD絶対好きじゃんの声を引っ張り出してごまかす、日本は無宗教だから、音楽は宗教になりえる、私とBは宗教違い
あれからいろいろな音楽を知って、クリープハイプサカナクションも聴くのに、中学のあのころの、思考まで食い散らかされるような感覚はもうない、私はもうだいぶ人間としてある程度、固まってしまっているのだ、イノチミジカシとは思えず、バッハの旋律を聴いてもなんとも思えない、ヒキコモリロリン


私はこれから先、今の私の思想や武器でこれからのいろんなことと戦わなければいけない、Aへの好意も、試験も、社会も、演劇も、これでのりこえつづけなければいけない、しばらく読点ばっかりで句点がない、それは恐ろしいけども、けれどRADWIMPSが売れたから、天才として社会に認められたから、私はやってけそうな気がする、やっとそんな気がしてきた

幸せが似合う人、ちょっぴり不幸せが幸せな人

以前、思考を放棄しないと幸せや楽しさは感じられない、とTwitterで書いた。


ライブで盛り上がってる時に「明日仕事かあ」と考えれば、せっかくの楽しい空間から自分を切り離してしまい状況を俯瞰してしまうことになる。すると驚くほど急に冷める。ファサッッッッと冷める。なにもかも無機質なつまらないものに感じる。私はこれをよくやらかす。お笑いライブでも演劇の公演でも。
駅で馬鹿騒ぎしてる人らを見かけるとうんざりするように、楽しいシーンというのは自分が当事者でない限り楽しくないものなのだ。

幸せも多分似ていて、たとえば好きな人と抱き合ってほこほこ幸せを感じてるときに「この状況端からみたらアホっぽいだろうなあ」と思えば冷める。スンッッッと冷める。私はこれもやらかした。



幸せや楽しさを感じるには考えちゃいけないのだ。
Don't think, feel!ってやつだ。

これが私にとってはめちゃくちゃ難しい。
考えることが好きだから。
ああでもないこうでもないと思いながら、本を読んだりネット見て知識を足しながら、いろんな人に話聞きながら考え込むのが好きだ。

もし今私がすべて満ち足りていて、なんの不自由もなかったら、端からみたら「幸せ」だろうけど、悩めない、考える材料もないことは私にとっては「不幸」だ。

逆に言えば、何か満ち足りてなかったりするのはそれ自体は「不幸」かもしれないけど、私にとってはあれやこれやと苦悩できるから「幸せ」なのだ。
でも完全な不幸になると絶望で思考が停止してしまう。だからちょっぴり不幸くらいがいい。

まあ簡潔に言えば、幸せの形は人それぞれってことだね。

私みたいな人はきっと他にもいる。
こういうタイプが幸せを追いかけたら悲惨だと思う。まっさらな幸せを追いかけるくせに、手に入れたら入れたで粗捜しをする。永遠に幸せになれない。

でも、たとえば結婚とか、いわゆる「幸せ」を勝ち取ることを社会から強制される場面は多い気がする。

そういうのに抗いながら「私は今幸せだよ!」って言ったりするんだけどなかなか信じてもらえないのはしんどい。
セクシャルマイノリティ辛いでしょ」ってたまに言われるけど、私はまったく辛くない。自分がレズだったりノンセクだったりすることで人間を見つめる視点が増えた。そうやっていろいろ考えるのは結構楽しい。むしろ辛いでしょって言われるほうがしんどい。




いやまって今日寒すぎる。電車乗りながら書いてるけど手が限界。

ちゃんと書こうとしたけどうまくまとめられなかったのを下にはっつけて終わろう。




幸せになるにはどうやらもういっこ必要らしい。

「ぼくわからない。けれども、誰たれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
(宮沢賢治銀河鉄道の夜』)

間違いだらけと 判っていても 2人は進んでいく
つまりそれは 恐れずに 幸せになる 切符を 手にしている
(YUKI『歓びの種』)


決心だ。

性別のゆくえ

私の性別はなんなのだ、という問いを幼稚園児の頃から抱えている。

ちいさい頃はおままごとが嫌いで、スカートが履けなくて、レゴやおっきいブロックで遊んだり、ボール遊びをするのが好きだった(いまも好きだけど。)そうなると自然と一緒に遊ぶのは男の子になって、自然に女の子から白い目で見られる。「あんた、私が好きな○○くんと仲いいの、ムカつく!」等である。
うっせーばーかと思いながらも、そういうことを言うような子と私は同じ性別なのか……と思うと少し憂鬱であった。

中学受験するべく塾に入ると、算数がよくできた。というか算数しかできなかった。「女の子は普通国語ができて算数が苦手なんですけどねえ」と言われた。とにかく負けず嫌いだったので算数で誰かに勝ちたいと思いながら頑張った。不思議なことに算数でのライバルは男の子ばかりであった。解かされるのは男子校の過去問ばかりであった。

私は男だ、と思っていた。
女の形をした男だ、と思っていた。

ラッキーなことに、男友達は私を男として見てくれていた。男の子がやるようなバカなことや下品なことを一緒にやって、一緒に笑えた。その頃受験のストレスがひどかったので、学校で子どもらしくはしゃげるのは本当に楽しかった。


某共学校に受かり、春休みにスカートの採寸に行った。
一応第一志望であったので、母は嬉しそうであった。
私はなんだか空虚な気持ちになった。もうズボンを履いて学校に行けない。男子とは格好が違う。ただの視覚的な線引きだけどなかなかのショックだった。
中学で新しい友達を作ろうとしたが2年間は上手くいかなかった。一緒にいる友達はいるけど、ドラッグストアで化粧品買うのに付き合うのはただただ退屈だったし、友達の家でずっとゲームしていたかったのに「ゲームばっかりはつまんないから買い物行こうよう」と連れ出されたりするのが嫌だった。
3年になってようやく素でいれる友達ができて、なんとなく女子な自分にも慣れてきた。好きな男子ができて女子の恋バナに乗れるようになって「私女じゃん」と思った。外見はなんも変わってないけど性転換した気分であった。

今は、普段は女だと思う、特に女の子を好きだなあって思ってる自分はその相手のことを同性として見ていて、完全に女だと思う。でもやっぱりたまに分からなくなるときがあって、その時はXジェンダー(=男でも女でもない性。両性と無性がある)、特に無性かもなあと思う。まあまあグラグラ。




身の上話が長くなってしまった。
疑問なのは「今ある"男らしさ"、"女らしさ"がなくなれば、誰も自分の性別なんか分からなくなるんじゃないか」ということである。

私が幼少期、自分が男だと自認したのはいわゆる"男の子っぽいもの"が好きだったからである。「男らしいや女らしいって性別で決めるのはもう止めにしようよ」という運動が少なからずあるけど、それが本当に果たされたら、「身体的には男/女だけど、精神的にはどっちかわからない」って人がたくさん生まれる気がする。

性同一性障害の人のドキュメントを何回か見たことがあるけど、「僕はスカートを履いて化粧したい」という男の子がほとんどだった。(女性の性同一性障害のドキュメント見たことないなあ)
普通にスカートを履いた男性がそこらじゅうにいれば、多分その人だって「自分が男じゃない・女かもしれない」とは思わないだろう。
そういう環境的な性差別がなくなって、男女の身体的な差(男の方がたいてい筋力があるだとか、女は生理があるだとか)だけが男女の性差になったとき、一体次はどういう問題が起きるのかが想像できない。


そういう世の中がくればいいのになあ。
ちいさい頃女に見られるのが悔しくてしくしくしてた自分をたまに思い出す。

生きているというエロさが好き

文章書くの好きで、こないだまでどっかしらでちまちま書いてたんだけど、どっかいっちゃったので新しくはじめてみる。
ただのひとりごとで推敲もしてないから、ツイッター過疎っててつまらないときとかに読んでね。



こないだ羊の木を観て久しぶりにこみ上げるものがあった。中盤からだいぶしばらく泣いた。
他に好きな映画は『渇き。』と『台風クラブ』なんだけども、共通するのはひっそりと性的な表現があること。

こないだ質問に答えた時、私の中でのエロはファンタジーって言ったんだけど、あれは細かく言うとセックスがファンタジーなんだよなあ。いくら映画観たって私はトトロには会えないし人を殺したりしない。だからセックスもしない。という認識。
性的欲求を解消するの大変だから、もともと欲求が無いのはラッキーだなって普段は思うんだけど、上に書いたような映画を見たとき、セックスを知らないのはもったいないのかもなあと感じる。

性は生に密接に関わってるからだ。

性の生々しさは生きるということの生々しさに通ずるものがある気がしてならない。

そりゃ生物は本能的に子孫を残そうと~みたいな生物学的な話はもっともらしいんだけど、それ言われちゃうとレズノンセクの私は生物学的に生物でなくなってしまうから今は置いといて。

生きているってエロい。呼吸して、ご飯を咀嚼して、飲み込んで、働いて汗水流して、大して仲良くない人には愛想笑いして、本当に仲いい人にはたまに甘えたりして、財布の小銭気にしたりしながら、明日も生きていることを前提に眠りについて、その間に爪や髪が伸びてゆく。
性的描写は、そういう生活の中にあるエロさをところどころ抽出して強調してる気がする。
そういう性を目の前にすると、自分が生きていることを思い知らされる。そして明日もきっと生きているということが希望にも絶望にも快感にも感じる。そういうどうしようもなさ、カオスが好きだ。

まとめられたつもりでいるけど多分纏まってないな 。
セックス描写よりひっそりとした性的表現が好きなのは、後者の方がそういう生きているエロさに近いからなんだよね。

これ誰かに伝わるのかなあ。

まあいいや。書けてすっきり。
こんな書く暇あるなら勉強しろよって話ですね。たしかに。でも思考も溜まったら吐き出さないと体に悪いからね。

おやすみなさい。9時に起きるぞ。